夜の太陽

作品へ飛ぶ

18ページ目

　　　9

淡く青みのかかったローブには銀糸が織り込まれているのか、光の加減でその輝きを変えた。普段は緑色の強い宰相のローブを纏っている印象しかないせいか、しばらくぶりに見る本職の正装は新鮮に感じる。
それは同時に、心臓を大きく抉る姿でもある。
「…兄様」
ライル以外の立ち会いは認められなかったため、外で待つしかないアイルは心細げに長兄を呼んだ。
刑の執行を行う場所は城の地下牢に隣接している。冷たい石畳を淡いロウソクの明かりが舐める中、鮮血を受ける溝が十字に走るところだ。死罪の場合は、執行する刑吏が手段を決められる。ある者は最も残酷な呪いの魔導を使うし、ある者は魔導ではなく絞首や斬首、電気椅子などを使う。だから死罪になった者には、二重の恐怖が待ち受けているのだ。
死の宣告と、殺そうとする刑吏の意志。
呼ばれたライルは何も答えないまま、執務室を後にする。その背中が冷淡で、普段兄弟に接する時に漂う温厚さは微塵もない。既に仕事だと弁えている訳ではなく、何かを強く思いつめているのだろう。
背中で揺れる白銀の髪に縋り付きたいと思った。お願いだからやめてと叫びそうになる。アイルの行動を制止する者は誰もいないのに、今叫んだらきっと長兄が、二度と戻って来ないような気がしたから。
ザイルは今ここにいない。執行の場所へ先回りしているのでも、自室から出て来ないのでもない。彼は気分が落ち着かないと言い置いて、自らが可愛がっている幾つかの魔獣の世話をしに、飼育小屋に行ってしまっていた。
たぶん、直視するだけの決意を持てなかったのだろう。これから母を自らの手で殺す長兄も、長兄に殺されてしまう母の存在も。
理不尽な仕打ちだと取れば悲劇になるのか？　それともこれはそもそもの悲劇なのか。
「ボク、もう泣かないよ！」
遠くなっていく兄の背中に、アイルはありったけの声で伝える。言いながらもうぼろぼろと泣き出しているのだけれど、簡単に止められるような年齢ではない。
「だから」
泣きじゃくる声を背中に、ライルは一度足を止めそうになった。止めてしまったらきっと歩き出せない。言い聞かせて、先へ進む。
「だから母様に大丈夫だって言ってね！」
まだ母を必要としているのに。精一杯の強がりのくせに。誰かを恨むことさえ知らないのに。
アイルの精一杯努力した声に応えることはなく、ライルの背中は角を折れて消えてしまった。これから一人部屋で待つことになるアイルは、喪失と孤独にたった一人で耐えるしかない。
戻って来た兄にまず何と言うべきだろう。労おうか、それとも泣きつこうか。愛情を求めようか、安心を獲得しようか。
泣き崩れたくなるのを堪えながら、長兄の執務室に足を踏み入れたアイルはぱたんと扉を閉め、そこでようやく絶叫を上げた。

集っているのは官吏や幾らかの小姓と女中、それから王と彼の従属。刑吏からは副官とその付き人が二人、ライルの到着を見つけるとそちらへ一斉に視線を投げた。後ろ手に拘束を受けた姿で、細い体にはあまりに不似合いな服を纏った王妃が中央で、静かに膝を折って顔を伏せている。
かつかつと、近付く足音に気付いても彼女は顔を上げない。何処か期待に似た緊張感の漂うそこは沈黙が垂れ込め、口を開くことさえ咎められるような気のする空気を保っている。
「――……母君…」
跪く、という体勢に近い母の眼前に立ち、ライルはそっと膝を折りながら彼女だけに聞こえるように呼ぶ。ふと上げられた目には恐怖ではなく、むしろ諦観に似たものが混沌としている。啼痕が見受けられたのは見間違いなどではなく。
恐らく昨夜、ライルが部屋を後にしてから彼女は泣いたのだろう。残していく幼い子供たちと、痛烈な洗礼を受けなければならない息子たちを思って。死ぬことに絶望したのではないと、そう思いたい。
「弟は私が責任を持ちます」
出来るだけ周囲に真実を悟られないよう、王に疑いをかけられぬよう、手短にライルは告げた。王妃が淡く笑うのを確認して、すっと体を起こす。
そうして、三歩。
王妃からは目を離さないままに、ライルは後方へ下がる。背後では副官と部下がこちらを見ていて――それは恐らく王からライルを監視するようにとの命があったから。王は既に気付いているのだ。王妃がもうけたドラゴンとの子が、宰相四人ではないかということに。気付いていながら信憑性と確信が欲しいために、これを申し渡しのだろう。
貴様の腹は読めている、とライルは口に出さず、視線もやらないままに王へ毒づいた。王の策謀の上で踊らされるのは癪だが、今はどうにも手が打てない。従順であることに嫌気が差す。いっそここで反乱を起こし王を殺せたのならどんなに楽なのか知れない。
けれど、弟を殺されても困るのだ。機会を窺うしかない。こうして、王を暗殺するだけの理由も出来たのだから。
声が震える。目立たないよう声帯を統制しながら、ライルは声高に王妃の本名を呼ぶ。それから、罪状も。王妃は否定も肯定もしない。
耳からは音が隔絶されてしまったかのようだ。
鼓膜で捉えるのは空気の震え。声や音に置換してくれるはずの脳が麻痺しているのか、自分が何を言っているのかも、周囲の反応も、王の下卑た笑みも、王妃の小さな悲嘆の声も、何一つ聞こえないまま。
ただ一つだけ。

「よってここに、断罪する」

宣告して、何の躊躇も見せないよう「禁忌の召還」を実行している自分だけが、現実感を帯びてそこに浮遊しているのを感じた。

その断末魔はどんな障壁さえも破って届いたようだった。正確には王妃のものではなく、彼女の体を蝕んで魂を引きずり出し業火であぶる、悪魔の上げた悦楽の声だったのだけれど。
執務室の片隅、寝室から引っ張り出してきた毛布を頭からすっぽりと被ったアイルは、聞こえるはずのないその断末魔に強く両耳を塞ぐ。瞼の裏には、声によってもたらされた悪夢――長兄に八つ裂きにされる母の無残な姿が、ありありと描き出されて。

意味のない悲鳴を断続的に上げた後、遠のこうとする意識を引き留めることが出来なかった。

ギャア、と肩に止まった鷹型の魔獣が鳴いた。鋭い爪がめり込まないよう、普段は肩にしている革製の装飾具を忘れたせいで、仄かに香る血の匂いに動揺しているのだと思いたい。
このまま肩を奪い去ってはくれないか。
思いながら、ザイルは強く石の壁に握った拳を叩きつける。
皮膚が破れて血が滲んでも、今の無力な自分を直視するよりは痛みもないのだと、そう思い込みたくて。

真っ黒な靄のような影が消え去った後、残されていたのは既に死後硬直が始まって、一部が壊死した王妃の無残な姿だった。さすがに残忍さを覚えたのか、何人かが吐き気を堪えるように口元を押さえながら退出して、一時的に騒然となった場の視線はライルに一直線に向けられている。
彼の使う魔導は、常に残酷極まりないものだと知られていた。よもやここまでとは思わない誰もが、驚嘆と非難に溢れた眼差しを向けているのだ。視線を一身に浴びながら直立したままのライルは、腐敗臭さえ漂う王妃の遺骸を無感情に見下ろしながら、散った彼女の鮮血を浴びた顔を拭おうともしなかった。
まだそこには温もりが残っていて欲しいのに。
王が無言で席を立ったことには気付いたものの、そちらに敬礼することも、頭を低く下げることもしなかった。
後悔しているのか、今更になって。一時の激情に任せて愛すべき人を殺させてしまったから。
否。
王が悔やむことなどあり得ない。この事実を持ち出して、人殺しだと責め立てるのだろう。見ていればいい。ドラゴンの人の混血だからと蔑む行為を後悔させてやる。今に母を殺させたことを悔やませてやる。悪かったとその時に詫びても遅いのだ。
はっきりとした憎悪を感じる。それはあの日、最初に触れた風に似ていた。

父の遺物を未だ持っている

第二章　　終

←前
採点

▲へ戻る

LaZoo掲示板
／カオス・ストーリー2／3

戻る / ﾄｯﾌﾟ

総合ﾃｷｽﾄ投稿&無料HP作成
(C)Chaos-File.jp