歌舞伎者番外
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カオス・ストーリー2
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中高一貫学校だったので高校はそのまま進学した、僕の友人は何人か別の学校へ進学したがほとんどの同級生はそのまま進学、シンドイ思いして中学受験したのだからまた受験勉強なんてまっぴら御免だった。
中学は3クラスまでしかなかったのに高校になるといっきに9クラス、実に3倍、6クラスも増えた、特別進学(特進)クラス、いわゆるエリートクラスが2つあり1つは外部進学で1つは内部進学となっていて、その他が7クラス、まったく勉強しない僕は当然その他クラスで外部進学の人たちが大勢いるクラスになった、知らない顔ばかりで少々戸惑いがあったが積極的に話しかけてくる人がいてすんなり溶け込めた。
特に仲良くなったのが真崎という人で笑いのセンスなど、何となく馬が合った。
入学早々外部と内部のやんちゃな人たちが始末書沙汰を起こしたりと、各クラスではデビュー戦が行われていたが僕のクラスはわりと平和だった。
平和が一番です。
ある日の昼休み中、中学の同級生の子が僕の元にやってきて今度行われる部活紹介を一緒にやってくれと言う。
陸上部だったが、いい加減な僕は一度も練習に出たことがない、なのに一緒に部活紹介をやってくれというのも妙だった。
言われるままに紹介文を作成し体育館のステージで部活紹介をした、各部活紹介が行われるなかで印象的だったのがアメリカンフットボール部で、ゴツイ男たちがゴツイ防具を着てステージ上にズラリと並び、ボールをステージの上から体育館の入り口で待機していた人に向かって投げ飛ばしてみせていた、あんなヤシの実のような形をしたボールをよく器用に投げるなぁと、とても印象的だった。
中学のとき、放課後遊んでいると、グラウンドでアメフトの練習をやっていた、メガホンを持って激しく選手に怒声を飛ばしている監督を見て、あぁ、凄い部だなぁ、自分にはアメフトなんか無理だな、力ないし、と当時はそう思っていた。
6月初旬のある日のこと、中学のとき僕の前の席に座っているチンチクリンでおとなしい人がいた、悪戯しても何もやり返してこないので調子に乗ってイジリまくっていたがついに何もやり返してこなかった、名は加藤(実名)という、中学の頃たまに遊んだりしたが、この人が僕の元へやってきていきなり
「アメフトやらない?」
と言うのだ
「え?アメフト??」
自分より背が低くておとなしいこの男がアメフトをやっていたことに少々驚いたが何かスポーツをやりたいと思っていたし友人だったので言われるままに今度練習を見に行くことになった。
練習を見に行くと
「おぉお前かぁ!」
中学の頃よく僕をいじっていた先輩だった、他にも接触したことのある先輩がいたのでやりやすそうな感触はつかめた。
初めてゴッツイ防具をつけてみたが馴染みにくくて何だか奇妙だった、キャッチボールをしようにもあのヤシの実はうまく回ってくれない、上手く回すうえ、恐ろしいスピードで投げる先輩を見て奇怪だと思った。
当時60kg程度しかないサイズの僕をなぜ勧誘したか、直接本人に聞いたわけではないが、部は人数不足に悩まされていたようだ、僕を含めて同期は加藤と中学のときよく遊んだ須原という人で3人しかいなかった、何しろ防具用品は全部揃えようと思うと15万円はするしアメフトは痛い!がどうしても先行してしまうようで、やろうとする人はそうはいなかった。
何とか3人で協力して声を掛け捲って数人確保したが結局全員辞めてしまった、後で知ったがアメフト部はとても印象が悪かったようだ。
僕が入部する前、あの部活紹介で女子の受けが良かったようでマネージャー志望の子がドっと押し寄せてきて、それ目当ての不純な動機の男が集まり、冷やかして辞めていったそうだ、もともとスポーツがやりたくて集まったんじゃないナメタ後輩たちを先輩たちは徹底的にシメたという。
後輩たちは仕返しとばかりにアメフト部だけでなく、直接関わっていない僕個人に対する嫌がらせを受けたりもした、その波紋で部は敬遠されていた。
それでも勧誘して連れてきても練習について来れなかったり、なんだかんだで結局辞めてしまい、ついに同期は二人だけとなった。
今でこそスポ根のスパルタ教育こそ無くなりつつあるが当時の練習の厳しさは半端ではなかった。
長年学生界の頂上に君臨していた日本大学フェニックスの当時の監督は
「現代のサムライを育成する」
をモットーにそれこそ激しい訓練を課していた。
この頃の年代の人に聞くと
「練習場に入った瞬間、いつも針の筵に立たされているようだった」
と言うほど半ば軍隊のような、それこそ命がけの練習である、冗談ではなく僕の先輩も練習中に命を落としてしまった。
特に多いのが頭や首の怪我で、激しいコンタクトによって神経を痛めたり、脳震盪や脳挫傷で突然死にいたる事故は後を絶たない、僕は幸いそれほど大きな怪我をしたことはないが試合中に脳震盪を起こしたことがある、タックルを相手に仕掛けたら頭と頭で打つかってしまった、さほど重症ではなかったが、しばらくは幽体離脱して自分を上から眺めているような、そんな感じだった、試合の記憶も飛んでいた。
話が前後したが、当時テレビで日大の試合のドキュメントを見たが容赦なく選手に素手で気合を入れている監督を見てビックリするどころか羨ましく思ったのはなぜなのだろう。
当時、うちの部は立命館や法政、そして日本大学などの名門校に何人もの選手を送り出すほどで、あのメガホンを持った監督は僕が入部して直ぐ不幸があり他界して監督不在が続いていたがその厳しい育成法が脈々と残っていたのだ。
ましてや同期が3人であるから僕たちへの厳しさは尋常ではなかった、何十分も休み無く一人で延々と足腰が立たなくなるまでダミーというサンドバックのようなバックにタックル練習をしたり、下手をすれば殴られ少しでもやる気が見られないと蹴られ、ときにはあまりに理解しがたい理不尽なシゴキが積み重なって先輩を闇討ちしようか部室に火をつけようかと本気で考えたほどだった。
ダイナマイトの製造方法を調べようと思ったのも当時の状態では無理ないと思う。
いっその事、爆弾で部室を吹き飛ばそうとも考えた。(もちろん思いとどまりました、当前です)
練習後、部室で加藤が悔し泣きをしているのを見かけた、彼は中学の頃から勉強が出来て高校でも理系クラスでは特に成績が良かった、寡黙で厳しい練習にも決して泣き言を言うことなく必死に黙々とやるタイプ。
僕とまったくポジションが一緒でお互い刺激しあう良きライバルでもあった。
なぜ泣いているのか聞いても黙って何度もうなずくだけ、泣き言を言うタイプじゃないのはわかっていたし、練習中の感じで何となく事情は読めた、僕は一人にしようとそっと部室を出た。
何度も言うが頭がおかしくなるほど本当に厳しかった、だが上達が見られれば先輩は物凄くほめてくれる、そんなときの先輩の顔は普段の地獄の閻魔の形相から仏陀に変わるようでそれが僕にも嬉しかったし上達が見られたそんな時は心からアメフトを楽しいと思えることが出来た、だから続けられたんだと思う。
だがある日、物凄い体を痛めて帰宅した自分を見た母が
「あなたその体どうしたの?」
「練習だよ、よくあること」
しかし、不審に思った母は同期の母に普段の練習がどんなものか友人から聞いていたのでそれを知った母が顧問の先生に度が過ぎると抗議したようだ。
いきなり晩に顧問の先生から電話がかかってきて、そのときはじめて母が抗議した事を知った、厳しい練習なんか日常茶飯事だったし未熟な自分を先輩がシゴク事は当然だと思っていたのでもちろん僕は抗議なんてするつもりは毛頭なかった。
これまでまともに部活動に打ち込んだことがなかったし、いきなり激しいスポーツを始めたから母は心配していたのだと思う。
そして夏、ついに恐ろしい恐ろしい夏合宿のときがやってきた、場所は河口湖で偶然にも秋の公式戦、すなわち僕のデビュー戦で試合をすることになった学校(僕が進学した大学の高等部)と同じ場所同じグラウンドで練習することになった。
毎朝6時に起きてお昼まで練習、昼休みをを挟んで夕方まで練習、そんな生活を1週間、恥ずかしいことだが正直あんまり過酷で練習後、グラウンドから宿泊先まで戻る道中よく泣いていた、俺って一体なんでこんな事やってんだろう、はっきり言ってそのときアメフトはそれほど好きではなかった。
崇高な目的を持って始めたわけではなかった、一生懸命頑張っていればいつか報われるだろう、その程度だった。
あぁ、あと4日頑張れば帰れる、あと3日、2日、ついに明日だ!それを支えに過酷な合宿を乗り越え、束の間の休暇の後、公式戦に向けてまた毎日練習漬けの日々が始まる、当時高校はコンクリートのグラウンドであったため激しいコンタクトの練習が出来ない、それでたまに堀切駅下車すぐの荒川の河川敷で練習していた、金八先生で有名な河川敷である。
練習後に同期仲間と食べた駅前のラーメンが美味しかった。
そしていよいよアメフト人生初の試合、母が息子の晴れ姿を残そうとビデオカメラまで購入して、家を出る直前、自室でプレイブックを確認している姿まで映していた。
試合会場は忘れもしない物凄い日差し注ぐ猛暑のグラウンド、僕のポジションはオフェンスはWR(ワイドレシーバー)主にボールをキャッチしエンドゾーン目掛けボールを運ぶ役割、ディフェンスはCB(コーナーバック)主にWRをマークする、どちらも高い運動能力とスピードを要求されるポジションだ。
チームは善戦するもデビュー戦は敗退、僕の1年生の秋は終わった、試合が終わったら足早に母は妹とGLAYのコンサートに、帰宅後に父と食べた大島ラーメンは旨かった。
その後の冬に東京電機大学が主催するリーグ戦に参加、堀越高校・海城高校・足立学園高校が参戦。
堀越高校・海城高校はともに快勝!しかし川崎球場で行われた優勝決定戦の足立学園には大敗、準優勝に終わった。
試合後のOB戦には堀越高校のOBで日本代表のキムタクの弟がいた、全然似てないしゴツイ人でした。
そして冬も終わり、春の風が吹き始めアメフト漬けの長い高校1年生生活が終わった。
学業ではまったくいい結果が残せなかったがとても充実した1年だった。
そして、僕にとって大きな転機となるときがきた。
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