思い出の中の約束
思い出の中の約束
水瀬


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 僕こと高上香流と緒方硝子を繋いだ唯一の接点――それは最悪なことに父親だった。正確に云えば、僕と硝子のそれぞれの母親を犯しやがったレイプ野郎だった。
 僕も硝子もソイツのことを父親だと思っていないし、人間だとすら思っていない。
 むしろ当たり前だ。ソイツはイヤがる母たちを無理矢理犯しやがり、それだけならまだしらず、ソイツのクソッタレなセーエキはしぶとくも受精させやがり、僕らを身篭らせた。
 僕と硝子の母たちはほぼ同時期に犯されて、ほぼ同時期に妊娠した。二人はどちらも産むことを決意して、僕らが生まれた。そのときの決断が、どれほど辛かったのか、僕には想像もつかない。
 無理矢理に犯されて、作りたくもない子供を産み付けられて、いったいどれほどの苦痛に襲われたのだろうか。
 どうせなら、僕なんか産もうと思わなければ、ずっと楽になれただろうに。それだけで解放されただろうに。
 昔、母にそう言ったら、思いっ切り頬を打たれたのを覚えている。
「望まれてないですって? ああそうよ、確かに最初は望んでなかったわよ。どれくらい、何度も何度も、卸そうって考えたし、いっそのこと私も死んでやろうと考えたわよ。だけどね、産まれてくる命は、どうやったって場所を選べないのよ。だから、その命を産まれる前に摘んでしまうは、せっかく受けた生を無駄にするのは、とても可哀想じゃない。それにね、生まれてきたアンタを見たとき、思ったのよ。元気に泣くアンタを見て、感じたのよ。精一杯生きてるんだ、って。私はこの子を殺さなくて、本当に良かった、って」
 不覚にも、このとき僕は泣いてしまった。
 謝ろうと、母の顔を見たら『こっち見るな』と殴られた。その瞳にはうっすらと光るものが浮かんでいた。
 いつも理不尽な母だけど、このときはその理不尽さが、ひどく嬉しかった。痛さが、生きている実感として心地好かったんだ。
 硝子を通じて知った出生の秘密。父親――種だけ植え付けたレイプ野郎は許せないし、今でもいっそのこと去勢されるか極刑にされるかしてしまえばいいと思っているけれど、そんなクソッタレな血を引いている僕が自分の存在を否定せずにいられたのは、その母の言葉があったお陰だろう。
 だけど――硝子は違ったんだ。
 彼女の母親はアイツにレイプされたせいで身体が完全に壊れてしまい、産まれてきた硝子もまた先天的な重病を背負わされてしまった。生まれて間もなくに余命宣告され、限りのある人生を歩むことになった。
 だけど彼女は、決して悲観をしていなかったんだ。
 今でも覚えている。
 彼女の言葉。
 白状しよう。
 あの日――僕は恋に落ちた。
 それは彼女の病室での出来事。
 発作が起きた。
 僕は慌て、ナースコールを押そうと手を伸ばすんだけど、その手を彼女は掴んだ。向くと首を横に振った。そして『大丈夫。水、飲みたいな』と言った。
 僕は冷蔵庫から水さしを取り、コップに注いで、彼女に飲ませてあげる。
 それから少し時間が経って、彼女の発作は治まった。
 心配して気遣う僕に、彼女はこう言ったんだ。
「……命は誰にでも限りがあるんだよ。ただ長いか短いかの違いでしかないの。世の中には紛争地帯に生まれたせいですぐ死んじゃう人だっているのに、その人たちより長生きしている私が悲観してちゃ、贅沢だよね。だから私は期限がわかってるから――楽しむスケジュールっていうのかな――出来るだけ悔いを残さないように生きようって決めたの。今出来ることは明日に回さず今する。たったそれだけで一日分得したでしょ? そうやってけば、みんなが平均的な一生をかけてすることを少ない時間で――それこそ私の寿命でやりきることが出来るかもしれない。……だから、黙ってて」
 病室の中は初夏独特の暑くて湿った空気に満ちていて、雨が窓を叩く音と廊下からは入院患者の話し声が聴こえてくる。しかしその音はほんの微かで、囁く程度にしか聴こえてこない。
 ここは閉塞感に満ちている。そう――まるで、独房みたいに。
 だけど、そんな中で、彼女は身近な絶望に負けることなく、儚いけれど、確かな希望を持ち続けていた。
 強い。そう思った。
 真似しろと云われても僕には決して出来ない。同じ状況になったとしても、僕なら早々に諦めてしまう。生きることを諦めて、全てを投げ捨ててしまう。
 僕は彼女を見た。
 何年も何年も病院暮らしをしているはずなのに、全身には活力に満ち溢れている。先程の発作など、その影すら見せない。
 瞳には光が宿っていた。
 その瞳が僕を不思議そうに見つめ返してくる。
 セカイが――書き換えられ始めていた。硝子を中心として、僕の構築するセカイが再編されていく。
 と同時に、急に胸の奥が痛みだしてきた。ココロの欠けていたピースを無理矢理ハメ込まれたかのように、ズキズキと痛んだ。
 その痛みは――自分の中に宿ってしまった感情の正体は――

 僕は――高上香流は、緒方硝子を、好きになってしまったんだ。

 ――好きになった理由なんて曖昧であやふやで有耶無耶で、自分でもよく理解していないけれど……だけど、一つだけはわかる。
 今感じているこの気持ちは、ニセモノなんかじゃない。確かに、僕の中に存在している。
 たぶんこのときの僕はオカシクなっていたんだろうね。セカイの改編が変なところに悪影響を及ぼして、普段は《ド》が付くくらい慎重な僕を、積極的にしてしまっていた。
 つまり簡単に云ってしまえば、告ってしまったってこと。
「……えっと、正気? もしかして香流って、特殊な性癖の持ち主なの? それとも病気を持った女の子にしか惚れられない、とか?」
「わかんないや。だって僕にとってそれは感じたままを素直に口にしただけなんだから」と答えるんだけど、彼女はいぶかしげな顔をするだけで明確な返事をくれなかった。
 正直云って受け入れられるとは思っていなかった。仮にも僕らは父親の汚らしい血を分けている血縁者なんだしね。
 だけど、そんなのは気にならなかった。我ながら、恋とは恐ろしく思うよ。
 それから僕は答えが得られるまで、総合病院にある彼女の病室へ通い続けることにしたんだ。
 最初の頃は僕が病室に行くたびに彼女はどことなく嫌そうな顔をしていたけれど、通い続けるにつれて段々とその表情はほぐれていった。そして最後には――。
「うーん。やっぱり物好きだよね、香流って。どうせ付き合うんだったら、もっと普通の人が良かったなあ。血縁者だもん。日本の三大禁忌のひとつに触れてるよ。それじゃ、私までそっちの気があるみたいに思われそう……だけど、うん、いいよ。ホントは最初の告白されたときにオーケー出そうかって思ったんだけど、長引かせた方が面白そうかなーって思ってさ」
 ――僕の苦労が徒労だったことに気付かされて、チョイ悔しかったりもしたけれど、付き合うことが決まって、まあいいかなって思った。
 本当はモノ凄く嬉しかったんだけどね。
 それから僕らはいつでも一緒だった。学校が終わるとすぐに僕は病室へやってきて、他愛もなくて取り留めもない会話に興じる。
 本当は外出許可を出せないはずなのに担当医の計らいで、休日にはドコか硝子の行きたいと思っていたところや最近になって出来たお店を巡ったりもした。
 梅雨の時期に出かけたときなんかは、二人して傘を持っていなかったから、どしゃ降りのなか病院まで走って帰ってきたこともあった。二人ともズブ濡れで散々看護師のお姉さんに叱られたのを覚えている。それにしてもあのお姉さんは本当に怖かったね。
 遊園地にも行ったんだけど絶叫系は身体の負担が大きくて乗れないから、硝子はそのことに不満たらたらだった。『目の前にジェットコースターがあるのに乗れないとは何事だっ!』と、むくれっ面をしていたっけ。僕はそんな硝子を見られただけで、ここに来た価値があったなと思ったよ。
 夏になると海へ海水浴に行った。だけど行ったはいいけど彼女は急激な運動――すなわち泳ぐ許可が降りていなくて結局は二人とも波打ち際で水を掛け合ったりした程度だった。パーカーを上に羽織っていた僕に彼女は『あれー? どーして脱がないのかなぁ?』とイジワルなことを言ってきて、無理矢理脱がせようとしてきたっけ。なんとか逃げ切った僕だったけれど、そのせいで軽く服装――水着とパーカー――が乱れてしまっていて正直焦った。アレは格好的にかなり危なかったね。
 秋になると病院近くにあるユーレイ紅葉――この紅葉の存在は硝子に教えてもらったんだ――を眺めに行ったり、病室内でサンマを焼いたりしてまた例の看護師のお姉さんに怒られたりした。そのとき胸元に付いている名札を確認したら『早川』さんという名前らしい。トリビアル。
 そして――冬。
 冬なんて、一生来なければ、よかった。
 あの日――屋上で抱き締め合っていた日、硝子は倒れたんだ。
 硝子を離した瞬間、すっと彼女の身体が崩れていった。それは何かの映画みたいにゆっくりとスローモーションのように僕の瞳には映った。
 うっすらと雪の積もったコンクリートに彼女の身体は倒れ込む。僕は一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。今の今まで、変わらずそこにいた彼女が糸の切れた人形のように横たわっている。それが現実であるはずがない。――だけど。
「硝子っ!」
 僕は硝子の身体を抱きかかえる。何度も声をかけ、揺さぶって、意識を取り戻そうと必死だった。本当は揺さぶるのは良くないのに、そんなことを気にする余裕がなかった。それほどまでに切羽詰まっていた。
 僕は硝子の身体を抱えあげようとしたけれど、フラついて抱いたまま歩くことが出来なかった。どうしてこんなこともできないんだよ、どうしてこんなこともしてあげれないんだよ。
 僕は硝子の身体を雪の上に下ろして、誰か助けを呼ぶために走り出した。階段を飛ばし飛ばしに駆け降り、足を踏み外して、転げ落ちた。身体中が痛かった。しかしこんなのは、彼女の痛みくらべればちっぽけなもんだ。彼女は何年もこんな程度の痛みよりももっと過酷で苛烈な激痛と戦ってきたんだ。
「おいっ!? 大丈夫かっ!?」
 その音を聞き付けてやってきたらしき看護師の早川さん。僕は彼女に事情を説明した。彼女は急いで他の看護師たちを呼んで、担架で硝子を処置室へ運んだ。
 その間、僕は、何も、出来なかった。
 運ばれる硝子に寄り添って処置室まで行ったら早川さんに『邪魔だ。お前は外で待ってろ。何かあったら呼んでやるから』と言われ、追い出された。
 何か、って、なんだよ?
 そんなことあってたまるか。ふざけるな。
 何時間待っただろうか。時間の感覚なんて、とうに消失していた。間隔なんて認識出来なかった。もしかしたらそれは数分か数十分程度の出来事だったのかもしれない。だけど僕には長く感じられた。そのまま一生硝子が出てこれないと錯覚していた。
 だから、ストレッチャーに横たわった硝子が出てきたとき、僕は安堵した。落ち着きを取り戻し始めていた。
 だけどその安堵は、くしくもすぐさま全て崩れさる。処置室から出てきた硝子が運び込まれたのは――ICU。
 集中治療室だったから――。
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