思い出の中の約束
思い出の中の約束
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それからどのくらいの時間が経ったのか――起きた時間を確認していないから――知らないけれど、気付いたら昼ごろになっていた。
ということはつまり、もうとっくに学校が始まっている。
携帯を確認するとメールが二件来ていて、一件目は着うたサイトのメルマガで、二件目は美魅からだった。
僕としたことがスッカリ美魅のことを忘れていた。毎朝美魅には家まで迎えに来てもらっているのだから、今日だって来たはずなのだ。
僕は焦ってメールの内容を確認する。
『今日は休みます。すみません』
と、簡潔に書かれてあった。
珍しいね。美魅が学校を休むなんて。どうしたんだろう。風邪でも引いたのかな。昨日は寒いなか屋上で待たせてしまったし、放課後にはユーレイ紅葉を見に行ったりしたので、可能性としては有り得た。
だけど確証もないのに決めつけるのは早計というものだ。学校で柚魅か、いいんちょに聞いてみるとするか。
そうと決まれば、支度をしなくてはならないね。
疲れたのか、ベッドでスヤスヤと眠っている亜沙を起こさないように細心の注意を払い、制服に着替えて鞄を持って階下へ行く。――とその前にもう一度ベッドで眠っている亜沙の元へ行き、
「うりうりぃ?」
と、やわらかいほっぺたをぷにぷにつっついていたら、再びR-18なセカイへと陥りそうな気配が僕の中に発生したので、途中でなんとか自省をかける。
階下に行くとリビングの方から物音が聞こえてきたので、たぶん母が帰ってきているんだろう。そちらに気取られないようにして玄関を出て、通学路を十五?二十分くらい進み、母校へ着いた。
まだ午前の授業が終わっていないということもあり、校門前には見張り役の先生が立っていなかったので普通に正面から侵入して、自分の下駄箱から内履きに履き替え、どうせだから今行われている授業が終わるまで、そこで時間を潰すことにした。
その間に、恋と愛の違いについてだとか、人は何処に向かって生きているのだろうとか、そんな――荒唐無稽で考え出したらキリがなさそうなことを考えていたら、背後から突然靴箱が開く音がして、いつの間にかそこには後輩の早川翼が立っていた。
「……む。なんでアンタがいるんだ?」
翼ちゃんはそう言って眉間に皺を寄せる。
忍者みたく気配を消しての登場を果たした翼ちゃんは、ここに僕がいるのが疑問に思えたようだ。自分が自然と気配を消せることなど気付きもしていない。
顔立ちは女子大生と言われた方がシックリくるような大人びた印象を持っていて、体型は絵に書いたような理想形だ。身長は僕よりも高い。
ちなみに彼――じゃなかった、彼女は男物の制服を着ていた。いわゆる《男装の麗人》だったりする。口調は男っぽけど性同一性障害ではない。ただの趣味らしい。
「ああ、ちょっと寝坊しちゃってね」
「嘘だな」
断言された。何故バレた?
「……どうしてそう思うのかな?」
「アタシに嘘が通じるわけがないという自負だ」
「つまり、ただ単に『嘘じゃねーの?』くらいの断言だったってこと?」
「まあ、煎じてしまえばそうなるな」
「煎じての使い方間違ってるよ」
「気にするな。というかどうせ妹さんといやらしいことでもしていたんだろ?」
「当たらずも遠からず」
「てえことは正解だな」
そう言って翼は僕の隣に腰をおろした。
先輩に対するにはゾンザイ過ぎる態度かもしれないのだが、決して不快な印象は受けず、むしろその態度の方が彼女の自然さを極まらせていた。
だから僕は彼女のことを気に入っている。
「アンタは恋と愛の違いはなんだと思う?」
唐突に彼女はそんなことを聞いてくる。
「どうしたんだよ、急に。もしかして恋するお年頃というやつかな?」
彼女も高校一年生だ。恋多き年頃なのだろう。ここは先輩として優しくサポートして何か良いアドバイスを与えてやらなくては――なんてことを僕はこれっぽっちも思ってやいない。
「いや、変態のアンタはどう区別しているんだろうかと思ってな」
ほらね。する必要なんて感じられないだろ?
僕は肩をすくめた。
「変態とは有り難い称号だね。賛辞として受け取っておくよ」
「ちぇっ」
と彼女は舌打ちをした。
それはそれは悔しそうに。
してやったり。ニヤリ。
しかし何故かアフターウォーのような虚しさがした。
「ちなみに翼ちゃんはどうやって区別してるの?」
「翼ちゃんはヤメロ。次言ったらシバク」
「じゃあ、つばりん」
「余計にイヤ」
「つばすけ」
「却下」
「つばたん」
「アタシは萌えキャラか」
「あーもうじゃあどれがいいんだよっ!?」
「なんでアンタがキレるんだ!? ここフツーはアタシのキレどこだろ!?」
つばたんは怒鳴った。……あ、三人称が『つばたん』になっている。いけないいけない。
「――で、結局翼ちゃんにとっての『恋と愛の違い』はなんなの?」
「だから翼ちゃんはヤメロ」と一呼吸おいて、「それは至極簡単だ。ようは運命を変えられたかどうかなんだよ。誰かのことを好きになるのは紛うことなく『恋』だ。しかし好きになっているばかりじゃ『恋』は『恋』のままでしかねーんだ。自分から何もしなくちゃ何も始まんないしな。だから運命を自分の手で切り開けたヤツだけがホンモノの『愛』を獲られるんだよ! もし相手に恋人や妻がいたとしても、奪い取ればいいんだ! 出来ないなんて吐かすヤツは、そもそも誰かを好きになるんじゃねえ!」
怖いくらいにエキサイトしていた。どうしたんだろうか、今日の彼女はいつもより雄弁で戸惑ってしまう。実際は似たりよったりなのだが、今日の方が格別だった。
あまりの迫力に僕は素直に驚いて、思考の働きに粗誤が発生しているくらい。
「世の中には自分は不幸だセカイは不条理だ不平等だと不満をたれるヤツらがいるが、アタシに言わせればソイツらはただ怠けてるだけだね。自分の可能性を信じらんねえ意気地無しで自分の価値もわからねーと、生きることをサボってるヤツだらけだ。アタシはそれが気にくわない。それが許せない。精一杯生きろ。死ぬ気で生きろ。生きることに心血を注げ、エネルギーを注げ、全てを注げ!」
……ええーっと、どうやら、というか完璧に僕は置いてけぼりを食らっている。彼女の演説に聞き入っているフリをしてその実、ほとんど流していた。だってどう考えても内容が僕への当て付けだったから。
「わかったか?」
「うん。わかったよ、翼ちゃん」
作り笑いを浮かべる僕に、彼女はコメカミを掻きながら、だから翼ちゃんはヤメロ、と呟いたがそれ以上は言及してこない。早々に訂正するのを諦めたようだ。諦めって大切だよね。
「――とまあ、ちょっと論題がズレてしまったな。ではズレたついでにもう一つ」
彼女は全身を伸ばすような動作をしながら立ち上がり、僕の前へと回り込んできて、シニカルな笑みを浮かべながら、
「指切りの話だ」と言って小指を立てた。「どうして指切りが人を殺せるのか。殺しても平気なのか。罪悪感や後ろめたさは感じないのだろうか。アンタわかるか?」
「まったくわかんない。精神構造が理解出来ないくらい歪んでんじゃないかな」
「そいつは違うぜ。その逆さ。そういうヤツに限って構造なんてものは単純明快なんだよ。だって考えてみろ。人を殺すのを躊躇わないんだぜ? それってつまりアタシらのように無駄な手順――倫理とか道徳とか、はたまた殺したら自分がどうなるのか、なんて考えたりしないって意味じゃねえの? それって歪んでるってえよりも、ただ単に直結してるって感じだろ?」
無駄な考え。
彼女はそう言った。
僕らは人を殺してはいけないことを知っているし、理解している。道徳的観念から来る人もいれば、迫害への忌避から来る人もいる。だけど皆が結果として同じ結論へ至れるのは《してはいけないこと》だという共通認識によるものだろう。
ではそれなのに対して、どうして人は人を殺すの?
わかんねえよ、そんなこと。
「人間が強くなるのは、ソイツの中にある一本の木が補強されていくからじゃない。枝を伸ばして葉を咲かせ実を成すからじゃない。成長――いや、進化するのに無駄な枝を効率良く伐採していくからだ。伐採されていった木は、いずれは枝が無くなり本当に《一本の木》になってしまう。そうなってしまったら、ソイツは何よりも強いぜ。無駄な思考なんて存在せず、思考の分かれめなんか介在せず、必要最低限の自我しか顕在していない」
大袈裟な動作で肩を竦めてみせる翼ちゃん。
「だが決して無敵というわけじゃあない。そういうヤツに限って自分のことを盲信してしまっているフシがある。自分のシステムは絶対だとな。だから、ソイツのシステムを逆に利用して論破すればイイだけの話だ。指切りもまた然り」と句切り、「結局はさ――ダスト・ザ・ダスト。ゴミはゴミ箱へ、ってな」
とかなんとか何処かの『人類最強の請負人』みたく決めゼリフを言い残して、彼女は去っていった。校外へ。
おそらく副職――いや、彼女にとってはそっちが本業なのかもしれない――へと行ったのであろう。
結局、つばたん――話が長かったので嫌がらせ――が何を言いたかったのか僕には理解出来なかった。生きることをサボっているだとか、運命は自分で切り開くものだとか、そんなのはとっくの昔に分かっている。
そして、それがどれ程役に立たないモノだということもね。
最後の話だってかなりの割合で意味不明だ。何故に指切りなのだろうか。まあ確かに指切り魔は現在進行形で僕らのまわりで起きている重要な事件なんだけど、指切りの心理なんか分かっても可になんかならないし。
彼女がそんな話をする意図が読み取れなかった。
ケータイを確認する。
時刻はもうすぐ午前の授業が終わり頃。
もう少しだけ、ここにいよう。
思考は巡り、巡る。
時間は流れ、流るる。
とどまることなく、とまることなく。まるで動き続けなければ、壊れてしまうかのように――。
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