思い出の中の約束
思い出の中の約束
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本日の授業も終わって、興味のない知識を覚えなくてはならないという苦痛からの解放感に浸っていると、美魅ともう一人――実に美魅ソックリな女の子が僕のいる教室へやってきた。
別にドッペルゲンガーなどではなく、美魅の双子の妹である柚魅だ。
柚魅は造形的にほぼ美魅と変わりは無く、唯一ぱっと見で違うところは髪型だけだった。もしそれさえも同じだったのなら、二人を日常的に見ていない人ならよーく観察しなければ区別はつかないだろう。
……あ、そういえばもう一つだけ違うところがあった。
胸のサイズ。美魅>柚魅。――いや、美魅>>>柚魅くらいかな。
「香流ッチーっ」
教室を入口近くに座っているいいんちょに僕の居場所を聞いたのか、こちらへ向けてナチュラルにテンション高く手を振ってくるのは絶対柚魅だろうね。
その声が聞こえたのか、数人の男子生徒が僕のことを穴が開きかねないくらいに注視していた。おおよそ持ちうる限りの殺意を込めて。
緋瀬姉妹は教室の中に入って、僕の座る机まで近付いてきた。
「もーっ、ノリが悪いなー、香流ッチは」
「僕にノリの良さを求めてもらっても困るけどね」
「それもそっかぁ」
「そこで同意されても余計に困るだけなんだけどね」
「なんだよー。いったいどっちなのさー?」
「どっちなんだろう?」
「って私に聞くの!?」
「だって自分じゃ、まわりがどう見ているのかわかんないし」
「うーん、そりゃそうか。……私の見立てでは、香流ッチは大多数に弱いって感じ。受動的なんだよ。もっと能動的にならなくちゃ」
「なるほど」
といった感じに柚魅の精神分析を聞いていると、美魅が僕の肩をとんとんと叩いた。
なんだろうと思って見ると、美魅は微笑んでいた。……あれ、何故か異様な殺気を感じるんだけど……気のせいかな?……気のせいじゃないよね。
「ねえ香流くん。私はこっちですよ?」
美魅と柚魅は確かにソックリだが僕が間違えることはない。これでも付き合いが年数単位なのだ。
だから、わかってますが、と切り返したいのは山々だったのだけど、全然言える雰囲気じゃなかった。
こう、なんていうのかな――むすーっ、て感じ。
「僕にはキミしか見えないよ」
「それはそうですよね。ソックリですから」
「そういう意味じゃないって」
水かけ論みたく、一向に先へと進まない会話。――と、そこへ。
「あー、もういいじゃん美魅。ここ、教室。どぅーゆーあんだーすたんど?」
柚魅が『まったくもう』って感じに仲裁に入った。部外者面して自分が実は渦中だということに気付けていない。
僕と美魅はお互いを見て、はぁーっと息を吐いた。
「まあいいです。香流くんてそういう人ですから。さて、帰りましょうか」
「……そだね」
納得された、というよりは妥協されたって感じだった。
「そういえば、どうして今日は柚魅が一緒なの?」
「中学校時代の友達と遊ぶみたいで、途中まで一緒に行こうと誘われました」
「さよーですか」
「さよーなんですよ」と、柚魅は相槌を打つ。「まー、二人の仲の邪魔はしませんよーだ」
ふむ。柚魅にしては自分の立場をわきまえた発言だね。初めて会ったときと比べたら幾分マシになったというべきか。
ともあれ、僕らは帰ることにした。教室を出るとき、いいんちょが別れの挨拶を言ってきた。
どうしてかは知らないが、いいんちょと緋瀬姉妹は旧知の仲らしい。柚魅に聞いた話では、何やらドラマティックな出逢いが有ったのだとか無かったのだとか。どっちだよ。
僕もサヨナラと言ったんだけど、いいんちょは憮然とした態度で『あ、ああ』と言うきりだった。やはり僕は嫌われているのか?
玄関に行くと下校時刻だったので、かなりの数の生徒がいた。靴を履き替え、美魅達と共に学校を出る。
太陽は傾き、家々にその姿が重なっていた。外に出ると秋の虚寒さが身に染みてくる。もう冬も近い。これから段々と寒さが増していくのかと考えるだけで、体が震えてくる。どうも寒さだけは好きになれない性質なんだ。
それから十分くらい歩いたのかな。
『それじゃここでお別れだっ』と柚魅が早々に離脱した。丁度僕の家と学校の中間くらいの場所だったと思う。
「それにしても寒いですね」と、美魅はハァーっと白い息を吐き、両手を擦り合わせる。夕方にもなると気温が冷えてくるからね。
「そりゃ秋だから」
実にそっけない僕の答えが気に食わなかったのか、
「香流くんはやっぱり鈍感です」
美魅は僕を非難した。
「僕って、どちらかといえば敏感な方だと思ったんだけどなぁ……」
「そっちの意味じゃありませんっ!」
興奮したのか美魅の顔は真っ赤に染まっていた。それはもう耳まで。彼女は一体何と勘違いをしたんでしょうか?
「あ、そっか。それは美魅の方がわかってるか」
僕がそう言うと、美魅は見る見るうちにもっともーっと顔を赤くしていって、まるで茹でダコみたいになった。……ヤバイ。めたくたかわいい。微笑ましい。
頭を撫でて更に追い討ちをかけようかと思ったけど、それではあまりにも美魅が不憫になりそうだったのでやめた。
「これから少し、出掛けないか?」
今だ真っ赤な美魅に向かって僕は言った。
「……何処に、ですか?」
「ユーレイ紅葉」
美魅はきょとんとした。顔が赤かったので、その姿はどこか幼さが全面に押し出されていた。
《ユーレイ紅葉》とは近所の総合病院近くに生えている紅葉の木で、何十年も今にも枯れそうな姿のまま在り続けているため、いつしかそう呼ばれるようになっていた。
「いいですよ」
美魅が同意したので、僕は彼女の手を握って、ユーレイ紅葉のある病院近くに向けて歩き出した。
美魅の手は思っていたよりも冷たかった。秋もうそろそろ佳境へ入ってくるから、これからはもっと冷えてくることだろう。手袋が必要だね。
「美魅の手って、冷たいんだな」
「でも手が冷たい人は心が温かいって言いますよ」
『手が冷たい人は心が温かい』『手が温かい人は心が冷たい』だなんて、確証もないクダラナイ喩え話だと思っていたけど、どうやら本当だったようだね。
病院の前を横切って、並木道を少し行ったところにユーレイ紅葉はある。その並木道は春になると満開の桜が一望出来た。
「アレが、そうなんですか?」
美魅が並木道の奥にあるやつれきった感じに生えていた紅葉の木を指差した。
「そうだよ」
その紅葉の木は、枝は細々と元気なく伸びていて紅葉の数もまばらだった。野晒しで、台風や雨の影響をモロに受けているはずなのに、今にも枯れてしまいそうな姿なのに、その木は今もそこに存在している。
それはすごいことだ。
だから、綺麗だって感じる。
「私、よく思うんです」
僕の隣で美魅が言った。
「私たちのセカイにある綺麗なものって、全てが全てそうじゃないですけど、いずれ死んじゃうから綺麗だって感じるんだと思うんです」
いずれ死んでしまうから。
紅葉はいずれ散ってしまうから美しい。
雪はいずれ溶けて跡形も無く消えてしまうから美しい。
星はいずれ燃え付きて一瞬の輝きをもたらすから美しい。
では人は――人間はどうなのだろうか。
いずれ死んでしまうから、人は人に対して感動出来るのだろうか。その人のことを美しいと感じられるのだろうか。
人は死ぬ瞬間が一番美しいだとかいうけれど、僕はそれが間違っていることを知っている。人の死の瞬間は、美しくなんかない。どこも幻想的じゃない。ただ、ただただ現実的な、悲しみがあるだけだ。
「命短し恋せよ乙女、とも言いますし」
「嫌な、セカイだよね。初めから死ぬんだって決まっているなんてさ」
「でも決まっているのだからこそ、人は出逢いを大切に出来て、大切な人と一緒にいたいと思えるんだと思います」
なんて云う美魅のセリフに僕は少しの気恥ずかしさと哀愁を感じた。胸の奥が――ココロの隅がひどくくすぶった。
紅葉が散ってゆらゆらと美魅の頭の上に落ちる。美魅は気付いていないみたいなので、僕は紅葉を取ってやった。そのときに美魅が驚いてビクッとしたのが、少しだけ笑えた。また撫でられると勘違いしたみたいだね。
赤と橙の中間辺りの色をした紅葉の茎部分をつまんで回してみる。
「ねえ美魅。紅葉が赤いのは、血が流れて死んだからなのかな?」
死んだから――血を流し過ぎて体を真っ赤に染めて、もう枝に付いている力も無くなって、死んでしまうから散ってしまうのかな。
「違うと思います」
美魅はやんわりと否定した。
「紅葉たちはきっと、自分達はまだ生きているんだ、まだ血が流れているんだ、と私達に訴えているんだと思います」
まるで人間のことを語るように、美魅は紅葉を語った。その言葉に嘘や偽りも感じられず、空想的で、嫌いじゃなかった。
「そうだね。そう考えた方が、ステキだよね」
「はい」
指につまんだ紅葉をクルクル回すのをやめ、そっと指を離して地面に落とす。落ちた紅葉は地面にあるたくさんの紅葉と混じって、もう見分けがつかなくなった。
僕は空いた手で再び、美魅の手を握った。
「――例外、見つけました」
「え?」
「《手が?》の話ですが、例外を見つけました。香流くんです」
「ん、慰め?」
「違います。繋いだ手から伝わってきます。香流くんの温かさ。手と、心の」
それは美魅のヘリクツだった。手から、心の温かさが伝わるわけがない。美魅はただ、僕を気遣っているんだ。
だけど……その気遣いは、ひどく心地がよかった。
「ありがと、なのかな」
「礼には及びません。言われるようなことはしてませんから」
北風が吹いて紅葉が数枚風に舞った。
秋もそろそろ佳境へ入っているのだろう。
もしかしたら、もうすぐ雪が降るかもしれない。いずれ溶けて消えてしまうから美しい雪が。
僕は、ぎゅっと美魅の手を握った。
美魅は、ぎゅっと握り返してくれた。
秋の寒さは肌寒くて体が震えてくる。だけど繋いだ手はとても温かくて、美魅の手は冷たいはずにのに、僕にはとても温かく感じていたんだ。
地面に散り積もった紅葉とカラカラ吹き荒ぶ北風、今にも枯れそうな紅葉の木。そんな趣きすら感じられるところで、僕らは二人、手を繋ぐ。
たったそれだけだけど、それは《幸せ》という言葉が相応しいようだ。たとえまやかしに近い幸せであったとしても、そのときはまあいいかって思えたんだ。
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