思い出の中の約束
思い出の中の約束
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それから数週間が過ぎていた。
硝子は相変わらず集中治療室から出られない状況が続いている。看護師の早川さんの話では何度も危険な状態になって、今はなんとか一命を取り留めているらしい。もしもこの状況が続けば――命は……。
僕はすぐさまにでも硝子のそばに行きたかった。眠っている硝子のそばで見守っていてやりたかった。
だけど――僕らは他人だ。たとえ血の繋がっていようとも戸籍上は赤の他人でしかない。だから、一緒にいられる許可が降りないんだ。
硝子の家族は、産みの母親は硝子が小学校へ上がる前に亡くなり、今は里親として義理の父母がいる。その二人は本当に硝子のことを大切にしていて、ここに引っ越してくることも二つ返事で許してしまうくらいだった。
だから、僕は、あまりよく思われていない。
本来なら、硝子はあと5・6年は楽々と生きられるはずだったんだ。病院の中で静かに療養して、精神さえ生きることをやめなければ、十分に身体は持ったはずなんだ。
それなのに――1年も持たなかった。
僕のせいだ。僕が硝子を連れ回したせいで、彼女の寿命を削ってしまった。彼女の命を奪い取ってしまった。
だから当然といえば当然なのかもしれない。
ホンモノじゃなくても――大事な娘なのだから。元々少ない期限で、もう少しで死んでしまうのかもしれないのに、残り少なかった日々を僕みたいなヤツと共に過ごしていた。それはひどく気に食わないことだろう。硝子は言っていたが彼女の義母は子供を作れない身体らしく、だから硝子のことを本当の娘のように接していたんだ。いや、本当の娘だったんだよ。だから、余計に――。
「何やってんだ? こんなところで」
顔をあげると、そこにいたのは早川さんだった。
ここは――硝子が寝ていた病室。つい数日前までは学校が終わるとすぐここへ来て、面会時間が終わるまで話をしていた。窓からはユーレイ紅葉を見ることが出来て、硝子と、また行こうね、と約束をしていた。
だけど――全ては過去の話でしか、ない。
ベッドはすでにかたずけられていて、そこに誰かが寝ていた痕跡など何も残っていない。硝子の持ち物も両親が回収してしまっている。
「明日あたりに新しい患者が来るんだよね。それで準備しなくちゃならないわけ? だから出てってくれない?」
暗に迷惑だと言っているのがわかった。病院側としても四六時中勝手に病室に居座られたんでは迷惑以外の何モノでもないだろうから。
「すみませんでした」
そう言って僕は立ち上がった。
しかし部屋を出ようとしたら、
「待ちなよ」
早川さんは僕の肩を掴んで止めた。
「なんですか?」と振り向いた僕に早川さんは言う。
「――話、つけといたよ」
「何の、ですか?」
「硝子ちゃんとの面会」
早川さんはニカッと笑った。
このとき僕は気付いた。早川さんはそのことを言うために、僕に伝えるためにここへ来たんだ。だって、彼女は新しい入院患者が来るためにベッドメイクをするんだとか言っておきながら、そのためのシーツやら何やらを持ってきていなかったのだから。
「少しは感謝してほしいね。あの両親説得するのがどれほど大変だったっていったら、ホントに骨が折れたんだからな」
感謝してますよ。
あなたは看護師の鏡だ。
ナイチンゲールも裸足で逃げ出します。
僕がそう言うと早川さんは、ふふん、と鼻を鳴らした。どうやら満更でもないようだ。
「アイツら頑固でね。いっくら説得しようと、このアタシが下手下手に出て頭まで下げたってのに、一向に許しやがらない。私も諦めようか半殺しにしようか迷ったよ。――だけど、そこで、硝子ちゃんが言ったんだよ。『最期なんだから、お願い』って」
最期なんだから。
その言葉が僕の頭のなかで反芻し、乱反射した。
「この意味、わかるか? どういう意味か、ちゃんと理解してるよな?」
早川さんは笑っていなかった。笑えていなかった。その顔に張り付いているのは、無骨に無表情を保とうと必死になっている今にも泣いてしまいそうな、そんな左右非対称に歪められている表情。
「……だから、早く行ってやんなっ!」
バチンと背中をおもいっきり叩かれた。手形がクッキリと残っていそうだ。
「ありがとうございます」
僕は走り出した。
自責ばかりしていた数週間が、遠い昔のように感じられる。視界はクリアだ。さっきの一発で全て吹き飛んでしまったかのように。
集中治療室にある硝子の病室に着いた。その扉の前には硝子の両親がいた。
うつむいたままだった義母が僕を見付けて、ビクリと身体を揺らした。義父は憮然としたまま僕を見下ろしている。
その二人の前を過ぎる瞬間、義父が僕のことを殴り飛ばした。
がつん、と。
衝撃でリノリウムの床に叩きつけられた。殴られた頬を擦りながら、僕をまだ見下ろしている義父を睨み返す。
数度視線が交錯し、義父は開口を切った。
「……すまない、とは言わない」
その眼差しは僕へと向けられていなかった。
義父は更に続ける。
「俺たちがどれだけお前のことを畏れているのか、わかってほしい。硝子は、やっと出来た俺たちの子供なんだ。血なんか関係ない。俺たちは本当の娘だと思っている。だから、お前なんかに取られたくないんだ。……お願いだ。俺たちから硝子を奪わないでくれ。たった一人の、娘なんだよ」
義父は僕に頭を下げた。義母も義父に寄り添って、共に頭を下げている。
見ているこっちまで痛々しくなるような――そんな真摯な懇願だった。
彼らは硝子のために全てを諦めてきたんだ。それがどれほどの苦悩だったのか、僕には想像もつかない。住み馴れた暮らしを捨てて、勤めていた職も辞めて、全てを諦めてここに来た彼らの気持ちを、僕なんかが分かりえるわけがない。
何不自由なくのうのうと暮らしてきた僕なんかが、分かっていいものじゃないんだ。
だったら、諦める?
そんな考えが思い浮かび、すぐに消えていった。
たった――時間にしたら、一年にも満たない関係だ。彼らは何年も共に苦しみ、笑い、そして生きてきた。こうなる覚悟だって、ずっとずっと前から決めていたのだろう。もしかしたら最初に硝子を引き取った時点である程度の覚悟は決まっていたのかもしれない。何一つ敵いそうな要素なんか見当たらなかった。
――本当にそうか?
自分に問いかけてみる。
――いいや。
すぐに否定された。
僕は――僕らは、この一年の間、何をしてきたのだろうか。
いくつもの出来事が、頭の中を駆け巡った。そのどれもが、光り輝いていた。
僕らは全然普通の関係じゃなかったさ。生まれからして最悪で、一緒にいるためには様々な十字架を背負わなくちゃいけなかったさ。普通の恋人たちが普通に送っている日常を満足に送れたなんて思えないし、やり残したことだって有りまくりだし、まだまだこれからってときだったんだ。
もしも硝子と共にいようとするなら、それすらも――それ以上に諦めなくちゃ、ならない。もう、そんな夢みたいな日々は訪れないし、望めない。
「――お断りします」
だけどな、僕はどう考えたって悩んだって、硝子を諦めることだけは出来ないんだよ。
「僕は、あなた達から、硝子を奪います。残り少ない時間を奪い取ります」
「お、お前……」
「恨んでくれたって構いません。いくらでも怨んでくれて結構です。それくらいなら、甘んじて受け入れます。僕はそれだけのことをするんですから」
たぶん――いや、絶対彼らは僕のことを恨むだろう。だけど今はそれで良かった。後々になって彼らに殺されようが構いやしない。硝子と一緒にいられるのなら、あとのことなど知ったことか。
「すみません。そこ、どいてください。僕は硝子に逢わなくちゃならないんです」
義父は恨みがましい目で僕を睨んでいたが、義母がそっと肩に手をかけて首を振った。そして二人は扉の前から退いた。
僕はその二人の横を通り過ぎる。扉に手をかけ、中に入る――。
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