死に沈むシニシズム
死に沈むシニシズム
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『居なかったね。そのときなら、多分事務所でデスクワークをしていたから』
ウソかホントか、私には確かめるスベがない。電話の声だけでは、その裏に隠された感情までは読み取れなかった。
「じゃあ、どうして、知っているんです?」
『それはつまり肯定と受け取っても良さそうだね。しかし、どうして……か』
彼の声は抑揚ははっきりしているし感情の起伏も感じられるが、私には全てが平坦に聞こえた。
だって――
ノイズが、無いんだ。
普通なら乱れてもよさそうな口調が乱れる兆候すら垣間見せず、ショッキングな事件を調べているというのに揺らぎさえしない。
『守秘義務を盾にして答えないってのも僕としてはアリっちゃあアリだけど、こちらばかりが有益な情報を得るんじゃあアンフェアだよね。しかしそれでも晒せる情報はほんの少ししかない。僕がどうしてキミしか知りえない情報を知っていたのか、その情報の入手ルートを教えることも関係する事柄を教えることも僕には出来ないし許されてはいない。これはキミの為でもあるんだ。一般の人が知っていてもいいとされる許容量があるとして、それを過ぎると物理的な被害が及ぶ可能性だって発生してくるから。ほら、栄養ドリンクだって《16歳以上》とか《一日一本》とかって書いてあるよね。簡単に言ってしまえばそれと同じさ』
栄養ドリンクの制約は、度を越した摂取が薬物依存と同じ症状を引き起こしてオーバードーズしてしまう危険性への警告であり、製薬会社にとってそのことで訴えられたときに対するフェイルセーフだ。
私は身を固くした。
つまりは『そういうこと』なんだ。
彼の話を聞いてしまったら『抜け出せなくなる』と『危険性を孕んでいる』と――脅している。余計な詮索は止めて、これ以上足を突っ込むそぶりも見せるな、そうすれば安全は保証すると――嚇している。
しかし、願ってもない申し出だった。元々私はこんな事件になんて関わりたくなかったんだし、こちらの為を思ってそう忠告してくれるのなら一も二もなく私は飛び付いて、縋り付く。
「ええっと、すみません。よく意味が分かりません。そもそも私は『何も』『見て』いないんです。そんな、悍ましい笑みだなんて、私、『悍ましい』の意味すら知りませんよ。それに私が『どうして知っているんですか』って聞いたのは、『悍ましい』なんて古臭い言葉をどうして知っているのかなーって思ったからなんです」
『……なるほどね。キミは賢明だ。懸命、といっても通じるかな。だけどその言い方じゃあ逆に何か知っているんじゃないかと思わせるくらいに白々しいよ。しかしそれくらいに取り繕った方が逆に自然ではあるね。ああ……キミはホントに賢い』
雲行が怪しくなってきた。
だからといって、墓穴を掘ったわけではなかった。むしろこういった対応をしておいた方が多少相手には悪めの印象を与えるかもしれない。それを逆手にとれば、本当は何かを知っているかもしれないがそれを追求しようとは思っていないだろう、といったニュアンスを抱かせることが出来る。今のところそれは成功していた。
相手の力量――つまりは頭脳の程度――によっては、通じないこともあるけれど、彼はカードの切り方があまりにも慣れていた。必要な情報を必要なだけ引き合いに出して、必要な情報を必要なだけ私から引き出した。
駆け引きを心得ている。
危ない橋だが、揺れている分にはまだ落ちはしない。
『個人的にキミに興味が湧いてきたよ。今度何処か一緒に出掛けないかい?』
「すみません。私、今付き合っている人がいるんで」
私は嘘吹く。
私なんかと付き合おうと考える男はそう簡単には現れないだろう。学校で私の置かれているを知っているのならば。
たとえ付き合えたとしても、付き合っていく過程で――私を知っていく過程で、これ以上一緒にいるのが嫌になるだろう。私は恋愛処女ではない。昔は、あったんだ。そしてそれゆえの経験則。
『それは残念』
彼は残念そうな口調で言った。決して、残念と感じている印象は受けなかった。
「あの、そろそろ、良いでしょうか? 今月、電話の無料通話分が後少ししかなくて……」
『あ、ああ、ごめんね。長話になってしまって。どうもありがとう。キミの話は十分に参考になったよ。さようなら』
「さようなら」
と電話を切った。
すかさず電源も切る。
私は一息ついた。
神経を擦り減らし過ぎて、クタクタだった。しかし、その価値だけはある。確証は持てないが多分もう彼は電話をかけてくることは無いだろう。もしかしたら今回とは違った理由でならあるかもしれないけれど、事件関係では無いと思える。これで一安心だ――と、そのときの私は達成感やら安堵感に浸っていた。
それが――底無し沼だということも気付かずに……。
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