彼方から……
彼方から……
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顔を上げると母さんは目を見開いて俺を見ていた。
ポチの行動で理解したんだろう。お腹を触らせる相手は一人しかいないんだから……
「俺の正体は明かせません。だから名前を呼ばないで下さい。ここに居られなくなってしまうから……」
母さんは口に震える手を当てて小さく首を振る。そっと立ち上がって、俺は母さんを見つめた。
「あいつを自殺させる為に助けた訳じゃない。時間がないんだ。四十九日しか俺は居られない、だから行かなくちゃ……」
姿勢を正してゆっくりと俺は頭を下げると再び顔を上げて母さんの方をじっと見つめる。
「俺の気持ち、わかってくれてありがとう。美宇は必ず連れて帰るから……」
「待って!待ってちょうだい!ほんの少しだけ。」
そう言って母さんは居間ヘ走って行く。そしてすぐに戻って来ると、俺の手にカギを握らせた。
「あなたの車のカギよ、使いなさい。」
小さく頷いてカギを握り締めると、俺は母さんを抱き締めた。
「親不幸でごめんなさい。だけど、父さんと母さんの子供でよかったよ。いつまでも元気で……。行ってきます。母さん……」
震える声で俺が呟くと、そっと離れて母さんは首を振る。
「私達の…息子は……死んだ…のよ。母さん…なんて、呼ばない…で……」
目にいっぱいの涙を溜めて、微笑みながら母さんは言った。俺の頬を熱いものが流れていく。唇を噛み締め何も言えずに俺も頷いた。足元にじゃれつくポチを抱えると俺は目許を拭う。
「美宇を助けに行くぞ。ポチ、お前も来い!」
その言葉に答える様に、ポチは一声鳴いた。
俺は車に乗り込み、エンジンを掛ける。向かう場所は決まっている。間違いなく美宇はあそこに行く筈だ。
アクセルを踏み込み俺は車を走らせた。
美宇!今行くぞ、待っていろ……
カタタン、カタタン……
平日の朝、普段なら混雑している筈の電車も郊外を目指す方向だと人影はまばらなのね……
電車に揺られながら、ぼんやりとそんな事を考えている自分に思わずクスッと笑みが零れた。
穏やかな天気と同じ様に、不思議と心は静かだ。これから自分がする事への恐怖も後悔も無い……
いいえ、少しだけ後悔してる。自分の両親と克樹の両親に対して……
だって本当の事を言ったら止められるってわかってるもの。
そして、ポチの事……
あたしと克樹にしか慣れなかったあの子の事が少し心配。
でも連れて行く訳にはいかないでしょう?
電車に乗る前に克樹のお墓にも行って来た。今から行くねって報告したの。それから克樹のお母さんにも……
「克樹くんとの想い出の場所に行って、気持ちを整理してくるんです。」
お母さんは静かに笑って、気をつけてねって言ってくれた。
大丈夫です。克樹が迎えに来てくれるんですから。
本当はそう言いたかったけど、やめたの。だって、誰にも邪魔されたくなかったから。
克樹との約束だから……
あの時のポチの行動を見て、克樹はそこにいるんだって確信した。そしてあたしのお願いを蛍光灯を割って答えてくれたんだよね?
前を走るあたしを追い越して、あなたは逝ってしまった。だけど、もうすぐ追い付くよ。待っててくれるんだよね?
電車は向かう。あたしとあなたが初めて出会った場所へと……
『ねー、美宇。火が着かないよ?』
『そうだね。男子は料理始めちゃってるから急がなきゃ……でもなんで着かないんだろ?』
大学のサークルに入って最初の親睦会を兼ねたキャンプにあたしは来ていた。
男子は料理担当で、女子はご飯担当。お米は研いだけど肝心の釜戸に火が着かない。気持ちばっかり焦って、どうしていいかわからなかった。
『火、着かないの?』
その声に振り返ると、あなたが立っていた。
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