思い出の中の約束

水瀬

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カオス・ストーリー23
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 初冬。病院。屋上。
 朝から曇りがちだった空からは純白の小さな小さな粒が舞い降りてくる。
「初雪だ……」
 彼女――緒方硝子は空を見上げながら、そっと笑った。
 手の平を上にして腕を伸ばしてみると、雪粒がさらりさらり舞い降りては体温で溶けて消えてゆく。
「私、雪って初めてなんだ……地元じゃ降らなかったから」
「じゃあ、硝子の人生にとっても初雪なんだね」
「そういうことになるのかな」
 彼女は今年になって、僕の住むこの町に引っ越してきた。
 この町――新潟は冬になると場所によっては何メートルも雪が積もり、もはや災害クラスなんだ。豪雪で電車が遅れることも時々あるし、止まることだってある。そんなときは電車からも出られなくて、かなり苦労するんだよね。
 雪が降ってきたことで、気温は一層冷たく感じられた。視覚効果というやつかもしれない。
「少し寒くなってきたね。そろそろ部屋に戻ろっか?」
 と僕が言うんだけど彼女は、
「もうちょっと居ようよ」
 フェンスに両腕を置き、その上にアゴをのせて空を眺めながら、そう言った。どうやら雪に夢中のようだ。
 顔には今まで見たことがないような楽しそうな笑顔が浮かんでいた。なんだかそれを見ていると、こちらまで不思議と楽しくなってくるような気がした。
「いいけど、これからもっと寒くなるよ?」
 僕の体はもう冷たかった。特に別段、冷え症ってわけじゃないけれど今日に限って体中が凍えそうなくらいに冷たかったんだ。
「じゃあ、」
 そう呟いて、彼女は顔をあげ、こちらを向いた。フェンスから離れ、僕へと近寄ってくる。
 そして、ゆっくりとした動作で、僕を抱き締めたんだ。
「これで寒くないよね?」
 なんて感じに問いかけてくる彼女。僕は自分の顔がすごく熱くなっているのがわかった。
 今は顔が隣同士にあるから気付かれてないようだけど、もし見られようものなら、更に真っ赤になって、それを見た彼女はクスクスと笑うことだろう。もしかしたら大笑いするのかもしれない。
「まだ、寒い?」
 僕が返事をしなかったのが悪かったのか、彼女は心配そうに再び問いかけてくる。
「ううん。温かいよ」
 彼女と触れ合っているところが少しずつ少しずつ温かくなってくるのを感じた。だけど、僕が温かくなっていくということは、彼女は冷たくなっていくということなんだ。
 僕は彼女から温もりを奪っている。
 寒さのせいだけじゃなくて、生きる上でもそうなんだ。彼女は僕といるだけで少しずつ寿命を削っていく。
 本来ならずっとベッドで寝ていなくてはならないのに。肉体的にも精神的にも療養出来る環境が揃っている、ここに引っ越してきたのはそのためなのに。
 だけど彼女は――僕らの関係なんて、まだ一年にも満たないのに――残り少ない命を僕と一緒にいる時間に使ってくれる。
「ねー、香流」
 彼女が言葉を発するたびに僕の耳に吐息が吹き付けられて、体が反応してしまう。びくんびくん、て。
「うわ、かわいー」
「かわいー、ゆーな」
「ふー」と、今度は吐息だけを吹き込んだ。
 全身に電流が流れたように僕の体はさっきよりも激しくビクリと震えた。これを機に僕の体が変な方向へ目覚めてくれないことを切に願った。
「あはは」
 完全に弄ばれている。
 だから仕返しに少し強めに抱き締めてやった。
「ちょ、痛い……し、心臓が……」
「えっ!?」
 驚いて僕は力を緩めた。
 すると彼女は、
「なんちゃって」
「…………………………」
「……ちょっと冗談がすぎたかな?」
 僕は頷く代わりに、さっきよりも弱くだけど――ぎゅっと抱き締めた。
「……ん。これくらいなら、ちょうどいいかも」
 こうしていると、セカイには僕ら二人だけしかいないんじゃないかって、思えてくる。
 どうしようもなく静かな、真っ白に染まりゆくセカイで。冷たい僕と温かい彼女は、ゆっくりと、しかし確かに互いを感じ合って、今を生きていた。
 冷たくても、温かくても、触れ合っていれば、いつかはどちらも同じ温度になる。だから僕らはいつまでも、一緒にいれると信じていた。信じられていると、信じていた。
「硝子、たぶん僕は今、幸せなんだろうね」
「香流、確実に私は今、幸せを感じているよ」
 そう言って僕らは笑い合った。

 彼女が亡くなったのは、それから一ヶ月後のことだった――。

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