歌舞伎者番外

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カオス・ストーリー23
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第2話:1995?1997年中学時代
中学時代、小学生低学年ごろから習い事と一緒に勉強塾に通い家庭教師を雇いながらもほとんど勉強しないで親の目を盗んでテレビゲームをしては親のお金を盗んで豪遊したり、イライラして放火騒ぎを起こしたり…etc他にも沢山悪さしながらもなんとか駒込学園という中高一貫校に合格した、ちなみに同じ組には当時人気ドラマだった「家なき子」のいじめっ子役だった・・・役名は忘れてしまったがその子がいました、卒業生には俳優の江口洋介や大滝秀治、タレントの欽ちゃんこと萩本欽一、歌手のエレファントカシマシや和田弘とマヒナスターズ、芥川賞の唐十郎さんなどが居たそうです、卒業した後知ったのですがモーニング娘のKさんが僕の後に入学したそうです。
ウワサの勢いは凄いもので入学式の後、僕のいたクラスには人気ドラマのキャストを一目見ようと物凄い数の在校生が大挙して押しかけてきました、テレビ局の取材人が着たりとなんだがチョッピリお得感を味わったりしました。
当時僕は神奈川県横浜市の青葉区という緑が多く自然たっぷりで空気がおいしいとても静かな町に住んでいました、ご近所付き合いがよく、夏の花火大会などのイベント事には近くの公園に色々な食べ物を持ち寄って大勢で楽しい時間をすごしたりしていました、小学1年生の入学と同時に東京から引っ越してきたのですが近所に同級生が多かったことで付き合いが多くあったのでしょう、多感な時期を自然や友達と過ごしたこの頃はいい思い出がたくさんありました。
駒込学園は東京の文京区にあるので片道2時間、遅くても朝の6時頃には家を出ないと間に合いません、最初はあまりにも辛くて日曜日が待ち遠しくてたまりませんでした、当然眠くてたまらないので授業はほとんど睡眠、一番前の席に座っていたのでよく皆の見ている前で先生に頭をひっぱたかれました、でも眠たくて仕方がありません、毎日がそんな状態なものだから成績も悪く学期末に三者面談を施された、三者面談をされても睡魔はどうしようもないのだが成績が落ち続けるのもよくないので、好きな科目は起きて嫌いな科目は寝ようと決めた、僕は数学と英語が嫌いでこの2教科は物凄く成績が悪かった、結果的にこの2教科によって後々長いこと苦しめられることになるのだがそれはまた。
中学生になってライフスタイルや時間の使い方もガラリと変わったのだがもう一つの変化が女の子である、自慢じゃないがよく隣のクラスからわざわざ僕に声をかけに来る子がいたりして凄い子なんか教室の出入り口の扉から大声で手を振りながら僕の名前を呼ぶ子がいた、僕は自分のことをカッコいいなんて思っていないしむしろダサい男だと思ってる、僕よりカッコいい男の子は同じクラスにも他のクラスにもたくさんいた、だがよく声をかけられた、自分の魅力なんか自分には分かりっこないのである、そんな調子である日一緒に下校した子から別れ際に帰ったら読んで下さいと手紙を渡された、女の子から手紙をもらったのは始めてのことだったのでスグにでも開けたかったが約束なので帰ってから開けると当時流行った生年月日や好きな食べ物などのプロフィールアンケートのようなものと添え手紙があった、何が書いてあったかは覚えていない、スリーサイズを問う箇所があったのだが「ココは書かないでもいいよ」と添え書きがあったが図ったことが無いので図った、胸囲を図るのに四苦八苦した記憶がある。
後日アンケートなどにすべて丁寧に返事を書いて手渡した、それからというもの連日のように隣のクラスから休み時間ごとに友達と連れ立って僕の元へ手紙を渡しに来るようになった、今となっては何がかいてあったのか忘れてしまったが、ある日仮病を使って保健室で寝ているとどこから情報を手に入れたのか嗅ぎ付け女の子数人を連れ立って保健室にまでやってきて手紙を口に押し込まれた、一生懸命にやってくれるので僕も悪い気はしない、そして毎日一緒に帰るようになった、校庭ではしゃいでいると僕のクラスの窓から顔をのぞかせ様子を見ていた女の子が「もてる男は辛いねぇ?!」などと今では聞かなくなった台詞もあの時の僕にはくすぐったかった、するとある日、彼女がいつも一緒にいる女の子数人と何やらもめている様子・・何度も場所を変えて話しているし何やら物騒、僕は遠くから見ていて1時間くらいして戻ってくると「おにいちゃん面かせや」と言う、何事かと思ったが何も話さないし僕も何も聞かなかった、帰り際に手紙を手渡され「今好きな人の名前書いて、私も書くから」と言われた、彼女が誰の名前を書くかなんてわかっていたが正直僕は彼女の名前を書くことにためらいを感じた、彼女以外に可愛いなと思う人がいてどうしようか悩んでしまった、臆病で物凄く気が小さかった、結局悩んだ末に『今これを読んでいる人』などと気取ったことを書いた、彼女は当然僕の名前を書いていた。
その後も一緒に帰る日が続いた、僕は通学に千代田線を使っていて彼女は常磐線を使っていた、彼女がいつも常磐線を見ると「むかつくぅ?!」と言うのでどこに住んでいるの?と聞くと牛久だという、当時僕は牛久がどこにあるのか知らなかったので親に聞くと田んぼだらけのくそ田舎だそうだ、いい所ではないか。
学校帰りいつもと違う道を通ったり公園に行ったりベンチに座ってしゃべりこんだり、二人で歩いているところを先輩に見つかって冷やかされたり、マンションのエレベーターに籠もったり、エレベーターって動かさないと電源切れるんですよ!あの時始めて知りました、省エネってやつでしょうか、エレベーターが突然開くたびに慌ててました。
女の子とまともに手をつないだのもこの時だと思う、公園のベンチに座ってずっと手をつないでいた、思春期の男女である、話はだんだん下ネタになっていたが僕よりも彼女が積極的に話していて僕はただ聞いていただけ、正直言うとキスしたいだとかセックスしたいとかはまったく思わなかった、知識が無いのもあったと思うが興味がわかなかったのだ、そういう対象で彼女を見ていなかったのだと思う、ズバリなりゆきでフラフラしていたんだ、中途半端な気持ちでチャラチャラしていたし面と向かってはっきりと彼女に気持ちを伝えたわけでもない、結局彼女とは自然に関係も疎遠になっていった、それ以来学校で見かけても声もかけ合わなかったしその後2年間一度も口を利かなかった。
LOVEバリューとでも言うのだろうか、男女のお互いの恋愛の価値や中身というものを計ろうとすれば付き合い初め方と終わり方で大体計ることができると思う、僕にとって始めての異性との交流はとても恋愛と言えるものではなかったが中途半端な気持ちとはっきりしない態度で相手の子に気があるような素振りを見せることは結果的に女の子を傷つけてしまうし後々自分にもしこりが残っていやな思いをするだけ、今後はその辺きちんとはっきり筋を通そうと思うことが出来た。

2年生になっても別に学校生活が大きく変化することは無かった、クラスが変わって友達が増えるけどマイペースにいつも通りの生活スタイル、大きな目標があるわけでもなく勉強しないで遊びまくっていた、当然学期末には呼び出し呼び出し・・・・当然親は呆れていた。
何か残したかといえば、毎年合唱コンクールというものがあって1クラス2曲、課題曲と自由曲を歌うのだが自由曲にはミスチルの『抱きしめたい』という曲が選ばれた、僕と仲の良い友人がミスチルの大ファンで彼の提案だったのだが、伴奏者を決めるときになぜかやってみようかなという気になって思わず勢いで手を挙げてしまった、僕以外に立候補者はいなかったので自動的に僕に決定した、その場で提案者の友人に明日楽譜頂戴ねとお願いした、翌日持って来てくれた楽譜を見て仰天した、あまりにも難しくてにわかに目の前が暗くなった、それでも逃げるわけにはいかないので帰って速攻母親に相談して親交のあったピアノ教室に通うことになった、元々それほどピアノが得意ではなかったのでとても本番までに一人でマスターすることは出来ないだろうと思ったからである。
本番まで2ヶ月位だっただろうか、先生のおかげもあって日に日に暗譜していったものの始めての全体練習のときあまりの緊張に指が踊って弾けなかった、統括していた先生が「初日ということもあって今日は無理そうなのでここまでにしましょう」と中断された、さすがに赤面ものである、伴奏者である自分の恥はクラスの恥、無責任な僕でもさすがにマイった、それからというものあんな惨めな恥は御免とばかりに練習にも身が入り夜寝るときお布団の中でも指を動かして練習していた、今でもたまに自然と指を動かしてしまうくらいあの時はとにかく練習しまくった、放課後のクラス練習のとき女の子に「見惚れちゃった」と言われても喜んでいられなかった、四六時中脳内はメロディ飽和状態、正月気分もさっさと切り上げて貰ったお年玉で自分専用の電子ピアノを購入して自室でひたすら練習練習、だがそんな甲斐あってか本番までにマスターすることが出来た、しかし大のあがり症である僕は心の練習までする余裕はなく知人に緊張感をほぐす薬はないかと相談したくらい、だがそんな薬あるわけがない、モノに頼る弱い心を殺して自信をつけるにはやはり練習しかないだろうと本番までたっぷりと練習した、毎日放課後の練習はやはり緊張して辛かったが本番が近づくにつれて徐々に楽しくなってきた、練習のおかげでやっと余裕が出てきたんだ、そして本番当日、2階席まである大きなホールだったが「なんだ!小さいじゃん」と苦しい余裕をかましながら席について本番前のリハーサル、客席の人々が気になって気になって緊張していたがなんとか躓くことなくクリア、そして本番・・・課題曲が歌い終わっていよいよ自分の出番、ピアノから最も離れた一番端に立っていたので後から回ってピアノまでいくのだがクラスメイトで観客には隠れている部分は猛ダッシュして途切れたところからゆっくりと歩いて座った、あとで先生にもらったビデオで見たらその姿がおかしかった、本番中は不思議と緊張などせずに順調に弾くことができて今までで一番の出来だった、2ヶ月間とてつもなく長かった、今まで生きてきて一番努力したかもしれない、辛かったが逃げようなどとは一度も思わなかった、というか逃げを考える余裕すらなかった、今では中学時代の一番のいい思い出です。

中学3年生の春頃、9年間住んだ思い出たくさんの横浜を離れ上野に移り住んだ、父の会社が上野にあるのと妹の学校と僕の通う学校が上野から近いので何かと便利だろうとのことだった、しかしココ上野は住むにはあまりにも煩いし空気と水が不味すぎるし近所付き合いもないのであまり好きではなかった。
だがお祭りが年中やってて楽しいし交通の便がいいというところは好きだった。
学校が自転車で僅か30分くらいの道のりになったので時間にゆとりが出来たこともあって中学生活3年間で一番成績が良かった、得意だったのは国語や古典、歴史や政治経済、逆に苦手なのは数学と英語、勉強しなかったから積み重ねの教科は苦手なのである。

3年生のときが一番平凡だった、特に何もせずにたらたらと過ごしたから思い出という思い出は特にない、平和といえば平和だった。
あ!そうそう、学校帰りのコンビニで本を立ち読みしていたらダイヤルQ2の番組で『ラブホテル盗聴、生の喘ぎ』という広告を見つけて興味本位で電話番号をメモり帰宅して誰もいないことを確認してかけてみた、確かにリアルな会話と艶かしい声が聞こえる、楽しいんだあと電話を切って戻しに行こうとすると母親が扉から顔をのぞかせて「電話代ちゃんと払ってね」と言う、てっきり外出していると思った僕は心臓が止まるほどビックリして恥ずかしい思いをした、それから数時間気まずくてろくに会話できなかった。

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