母の日
水瀬
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僕は『母の日』という記念日を活用するときはついぞ来ないと思っていた。
自分の母親に対して日頃の感謝を述べる日だというのは知っているけど、その感謝をする相手がいないのだから仕方がない。
僕の母親は僕が生まれて十一ヶ月、つまり一歳になる前に死んだ。だから僕には母親の記憶なんてモノは存在しないし、母親という概念は介在しない。それこそテレビや本で見知った限りなく《フィクション》に近い母親像しか分からないんだ。
別に自分を不幸だと思ったことなんてない。そもそも母親という存在が近くにいないので、どう自分を不幸だと思っていいのか分からない。元々からいない人を哀しんだりとか、どうやったら出来るのかな。
それに幼少時代なんかはまるで気にせず普通に、母親がいる子供たちと何も変わらずに、過ごしていた。その頃は無知過ぎて自分の境遇を分からず、それを不遇なんて考えることすらなかった。
それに、幼稚園に保護者が来る行事なんかがあったときは祖母が来てくれたので、今にして思えば、別にどおってことのない幼少時代だったのだろう。
だがしかし、小学生になると、僕は変わっていた。小学生といっても子供のカテゴリから抜け出せないまだまだ無知蒙昧だけど、それでも無知なりに蒙昧なりに考えるのだ。
どうして僕にはお母さんがいないの、って。
授業参観の日には、みんなは母親が来ているのに僕だけは父か、誰も来ていないのか、のどちらかだった。さすがに小学生にもなると祖母が来るのは恥ずかしかったので断っていた。
それでも、仕事を休んでまで来てくれた父には感謝しなくてはならない。
何年か、詳しくは知らないが連れ添った最愛の人に先に死なれたのだ。それがどれだけ辛いことだったのか、僕には計り知れない。それは実際に体験した人しか分かりえない哀しみであり悲しみ。あの人もあの人なりに苦しんでいる。
それに気付いた中学生になってからだった。
その頃の僕は生まれて初めて本気である女の子のことを好きになった。その子は、いわばクラスのムードメーカー的な子で、小学生のときから一緒のクラスだった。なにぶん田舎に住んでいるので全学年とも、ほぼ一クラスしかなかったのだ。
小学生時代から彼女は何にも変わってない。多少大人びて来ていたがねっこの部分は相も変わらずだ。
よく、笑う娘だった。
彼女が笑うとまわりまで笑ってしまう。そんな奇特で伝染的な人柄を僕は好きになってしまったのかもしれない。
もしくは、無いモノねだりに近いのかもね。自分には自然と笑える気持ちが欠けている。ウチにいるときで笑ったのなんて、テレビや親戚が来たときだけだった。家族と会話をすることなんて、ほぼ無いに等しいのだから。
だから、僕は笑える彼女に憧れていたのかな。
そんな彼女に――母親という概念を見い出していたのかな。
今になってみてもわからない。
だけどただ一つわかることがある。それは、彼女が僕を好きじゃなかったってことだ。
正確に言えば、好きかどうかはわからないが彼女には好きな人がいたということだ。というよりはそいつと彼女は付き合っていた。それを知ったのは友達からの伝聞だった。
正直、辛かった。
こんな痛みは初めてだった。
結局は一人よがりのストーカーちっくな恋だったのだけど、それでも好きだったんだ。初恋だったんだよ。莫迦みたいに、どうやったら僕は彼女に好きになってもらえるかなって考えてたんだよ。自分からは何もせずに、行動に移さずに、待っていただけなんだ。それで勝手に苦しんで、ホントに莫迦みたいだった。
でもね、そんな中、気付いたんだ。こんな程度のことで、こんなに苦しんでいるんだから、もし、最愛の人に死なれたら、どんなに苦しいんだろう、って。
父が一人で泣いているところなんて見たことないし、むしろ悲しんでいるところも見たことがない。だけど、それでも、ただの強がりだってのは分かる。
だってあの人は、今も再婚せずにいるのだから。
もう母が死んでから十六年ちょっと経つにもかかわらないのに。
だから、僕は自分を不幸や不遇だと、今も思わずにいられる。今も母親がほしいと思っているけど、僕の本当の母親はたった一人しかいないんだと思える。
母親という存在を本当の意味で知らない僕だけど、それでも僕を生んでくれたのは、父が愛する唯一無二の最愛の人なのだから。
母の日を素直に迎えられない僕だけど、今年くらいは墓参りに行ってみよう。母の墓には去年のお盆以来行っていないので寂しがっているのかもしれないからね。
行くとしたら花束がいる。手ぶらじゃなんだしね。
母の日の花って――
――カーネーションでいいんだよね?
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