桜の花が赤いのは…

浅海加奈子

LaZoo掲示板
カオス・ストーリー23
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桜の季節、と言われて、あなたはどんな風物詩を浮かべるだろう。新年度、新しい出会い、入社式に入学式…。四季の多彩なこの国において、桜はいろいろと重要なものだ。花見の宴は、誰もが楽しみにしているのではなかろうか。
桜に関する都市伝説がある。桜の花はなぜ赤いのか。聞いた事のある人も、たくさんいる事だろう。
桜の花が赤い理由。それはその木の下に……
桜の咲き誇る四月。薄紅に染まった並木を、彼は急いでいた。ブレザーを着ているから、どこかの高校生だろう。
ヒラヒラと、桜の花びらが舞う。桜の花の寿命は短いもので、開花から一週間でほとんど散ってしまうらしい。何とも切ないこの木には、「刹那い」なんて当て字が似合うかも知れない。
「まずいよなぁ」
急いでいた彼は、駆け足だった速度を緩めると、足を止めて、その言葉の意味よりは危機感の抜けた声で言う。そうして携帯のウィンドウで時間を確認すると、途方に暮れたように頭上を仰ぐ。
紅色の洪水。その間から覗く春霞の空。文句のつけようもない、風流に富んだ光景。
肝心な始業式に遅刻している狩野翔太が、のんびりと上を仰いだ高校生、その人だった。



結局、始業式当日から遅刻してしまった狩野翔太は、教師にこっぴどく叱られた事で少々落ち込んでいた。自業自得なのだから仕方ないが、叱られた事実には変わりない。
大きな溜息をこぼして、翔太はとぼとぼと帰り道を歩く。叱られたせいなのか、いつも重たい通学カバンが、もっと重たく感じられる。
ふと、顔を上げたのは偶然だった。通り道沿いにある公園の入り口に、人だかりができている。そこは翔太が幼い頃、よく遊びに来ていた公園だ。
そんな身近な場所で、何があったのだろう。疑問に思うのと同時に、翔太の脳裏には、遠い記憶が蘇って来ていた。

 ◇  ◇  ◇  ◇

春霞の空に鮮烈なコントラストをつける、満開の桜。その老木は古くからそこに立っているらしく、囲うように円形の白い柵が設けられているのは、子供が悪さをしないようにだ。
相当な年月を重ねている桜は、いわば記念物のようなものだったのだろう。中央に老木を据えて、緑の多い公園が造られている。視線を巡らせれば幾つかの遊具を確認出来たし、特に春の陽気に誘われた幼い子供達が、芝生の上に寝転がってみたり、砂場で高い山を作っていたり、自由に遊んでいる。
コロコロと逃げるように転がるサッカーボールを追っていく子供は、遠くで急かす友達の声を聞きながら、満開の桜の元へと走っていく。もしかしたら意志のないサッカーボールも、文句などないくらいに美しく咲き誇る桜の花を、じっと見上げてみたかったのかも知れない。
コロコロと転がるサッカーボールは、やがてその速度を落として、白い柵の手前で止まる。ボールに花見をさせる余裕を持たせて追い付いた子供は、やっと止まった事に笑みを浮かべて、小さな両手でボールを抱え上げた。
さああ、とホコリを帯びた緩やかな風が吹き渡る。ようやくボールを抱え上げた子供は、その風にいざなわれるように、友達の方を振り向こうとしていた顔を上げる。
桜の木を守っている柵の向こう。鮮やかに、艶やかにその花を咲き誇っている古木のどっしりとした根元に、丈の短い白い着物を着た同い年くらいの子供が、微かな笑みを宿してこちらを見ている。
見覚えのない顔だから、この住宅街に住んでいる子供ではないのだろう。もしかしたらつい最近、ここに越して来たばかりなのかも知れない。それにしては着物なんて、ずいぶんと古風な家柄だ。
「ねえ」
白い着物を着た子供の声は、四月の曖昧な空気に似てぼんやりと、けれど透き通って子供の耳に届く。
「遊ぼうよ」



サッカーボールを待ちわびている友達の元へそれを返却しに行った後、子供は白い着物の子供と遊ぶ事にした。サッカーなんて所詮は球の蹴り合いだし、彼はあまり好きじゃなかった。だからこのおとなしそうな子供と遊ぶ方が、自分にとっても幾らか利益になると思ったのである。
そこまで邪推が回る程、子供は腹黒くなかった。だから純粋に、新しい友達を作る感覚で誘いを受けて、こうして駆け戻って来たのである。
「ボク、翔太」
子供が言うと、柵の外へ出て待っていた白い着物の子供は、きょとんとしたように瞬いて、彼の名前を復唱する。
「しょうた…」
本来なら翔太が不思議そうにするべきなのに、白い着物の子供はまるで、翔太の存在の方が珍しそうな顔をしていた。
「しょうた」
理解して消化したように、子供ははっきりと言う。そうしてにっこりと笑うものだから、翔太も笑って返した。
「キミ、どこの子? 引っ越して来たの?」
顔立ちと表情があまりはっきりしない子だな、という印象が、幼心にもあった。何故だかその子は霧のような存在感で、一度強い風でも吹いたら掻き消えてしまいそうなくらい、曖昧にそこに立っている。
翔太の問いに、子供はこっくりと頷いた。表情からするに言葉の意味を理解していないようだけれど、そこは翔太もまだ判断がつかない年頃、細かい事は言わない。
「じゃあ、これからは一緒に遊べるね」
満面にあどけない笑みを浮かべた翔太が言うと、子供はまたこっくりと頷いて、にこ、と口元を緩める。笑みが返って来た事に安堵して、翔太がおもむろに右手を差し出すと、子供はびっくりしたように瞬いた。
「握手だよ。友達の印」
傍で見ている大人があれば、ついついつられて微笑んでしまう笑顔を浮かべて、翔太は子供に言う。握手、という言葉さえ理解していなかったかのような子供は、やがて考えをまとめたのか、恐る恐るか細い右手を差し出した。
ぎゅっ、と握る。陽に焼けた事などなさそうな透けるように白い肌と、余分な肉のついていない棒のような腕。しっかりと握り締めた手は氷に触れた時のように冷たく、ほんの数秒握手しただけで、体の芯までぞっとした。
「どんな遊びが好き?」
すっかり冷えきってしまった手を足元になすりつけながら、翔太は何気ないふりをして子供に問う。子供のおぼろげな顔に曖昧な表情が浮かんで、それからゆっくりと首が振られる。
「何でもいい。だからあそぼ」
何だ。この子はただ友達が欲しいだけなんだ。無邪気で人懐っこい、引っ越して来たばかりの子なんだ。
冷えた手を握ってから抱いた淡い不信感を払拭して、翔太は笑う。そうして体温の感じられない子供の手を取ると、子供連れの母親や幼児で賑わう芝生の遊び場へと、その子の手を引っ張っていく。



夕暮れに染まる桜はとても綺麗だ。オレンジとピンクが絶妙な色合いを醸し出して、思わず感嘆の吐息が零れる程、それは絶景だった。
日が暮れるまで遊び回った翔太は、心持ち疲れ切った顔をして、白い着物の子供と出会った桜の木まで戻って来ると、別れを告げる為にその子を振り向く。
「もう帰らなきゃ。ママが心配するんだ」
一緒に遊びに来ていた友達はもう、母親と夕食の待つ家へ帰り着いた事だろう。公園のあちこちに設置された外灯が、チカチカと瞬きながら明かりを灯し始める。時計はそろそろ、六時を指す頃合いだ。
「行っちゃうの?」
白い着物の子供が心細げに呟いて、翔太は残念そうな顔をする。
「仕方ないよ。でも、また明日遊べる」
明日、という言葉が納得いかないのか、おぼろげに複雑な表情を浮かべて、子供が困惑したように顔を俯ける。


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